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マリードとは何か



「マリード」は1999年2月21日、発行者である寺園がごく周辺の友人、知人に向けて、直接、メールソフトの同報送信機能を使い、配信をはじめた。

あれから9年近い時間が経った。同和行政と部落解放運動をめぐる情勢は大きく変わった。高知、大阪、奈良、京都で、事業と運動が、当初の目的あるいは建前として掲げている目標から、いかにかけ離れた実態であったか、広く知られるようになった。とくに2006年5月に、部落解放同盟飛鳥支部長が逮捕されて以降、マスコミは、行政や運動がいまどんな問題点を抱えているか、さほどちゅうちょすることなく報道するようになったようだ。

部落解放同盟は、この期に及んでもマスコミの報道内容、姿勢にあれこれと不満を並べ立てているが、近い将来、メディアが自分たちのことを普通の市民団体として扱い、不正は不正として報道してくれるようになったことを、感謝するときがやってくるはずだ(そうでなければこの団体は解散したほうがよい)。

おかげさんで、「マリード」の意義も相対的に薄れてきた。よろこばしいことと言えよう。だが、数十年にわたって行政内部に蓄積された膿は、そう簡単に除去されるものではないことも、同時に痛感している。

たとえば、京都市では毎年大量の逮捕者、懲戒免職者を出し続けている。この市の同和行政は、大阪市や奈良市などと比べ、この10年かなり整理が進み(アルハムドリッラー!)、「同和事業」自体ほとんど終結したものの、過去の異常な事業内容、運動団体とのスキャンダラスな関係によって形成された、行政の深刻な実態が誰の目にも明らかとなっているのだ。

行政を蝕む膿、病根は、自然に治癒するものではなく、回復のための独自の努力が必要なようだ。以前と比べてちと地味な調査、取材にはなるが、まだまだ書くべき事実は残されている。

以下の文章は、「マリード」をメールマガジン配信業者(まぐまぐ!)を経由して発行するにあたって書いたものだ。事業内容などの個々の状況は変わってしまったが、行政の抱えている問題の根本的な変革をめざすためには、いまも有効な問題意識であり続けていると思っている。

2007年12月25日
寺園敦史



同和行政は、おそらく西日本の多くの自治体において、もっとも公正性、透明性に欠ける分野の一つだと思う。同和対策事業の特別法・地域改善財特法の期限切れ(1997年)以後、各自治体の事業は終息に向かっているかのようにみえるが、公正性、透明性という点では、代わり映えのしないところも多い。

京都市の同和行政は、その点ではもちろんのこと、旧態依然とした施策内容、方法という点においても、全国でもっとも「保存状態」のいい事例といえるだろう。

たとえば、部落解放運動団体の推薦があれば、市職員になれる同和「選考採用」制度、運動団体が実施する温泉旅行や慰安旅行にも、数十万円から数百万円の公金が支給される同和助成制度、運動団体に所属する市職員が勤務時間中でも団体の組織活動に従事できる同和職免制度...。

いったいこれらはどういう必然性のもとにおこなわれ続けている制度なのか。わたしは、現在、部落問題は完全に解決したというつもりはないが、行政がこういった制度、公金を投入しなければならない実態があるとは、とうてい思えない。逆に、事業を続ければ続けるほど、「部落」内外に垣根をつくることになる。ある面では、「部落」住民の生活意欲や可能性をスポイルする結果さえ招いていると思う。

そして重要なことは、京都市の同和行政の主要部分が、市民にたいして閉ざされたかたちで長く実施されてきたことだ。いや、閉ざされてきたからこそ、今日に至るまで長く維持することを可能にしたといえるかもしれない。密室であるかぎり、市民から批判の声があがるはずもなく、行政はその事業の市民的妥当性などさして考慮しなくてもよい。

近年、「部落」住民や運動団体を含む、さまざまな人たちの努力で、その実態の一部が公開されつつあるが、あまりの非常識ぶりが公開されるにともなって、不公正な現実も克服されてきている。

だが、まだ不十分だ。各地で市民オンブズマン活動はさかんだが、同和行政にも、もっと市民監視が必要だと思う。市会議員でも市政記者クラブの記者でもない一人の市民が市役所の窓口に立ち、直接「市の同和行政には不審な点が多い。関連する公文書を見せて欲しい」といったとき、行政はどういう態度に出るだろうか。行政としておこなっていることであるなら、市民に説明する義務があるはずだ。

「マリード」では、京都市公文書公開条例などを使って得た情報などをもとに、同和行政の実態を伝えていく。

2001年1月  発行人 寺園敦史

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マリードのアラビア語表記
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