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批評・雑談 Archive

アーニー・ディフランコを知ってますか

気がついたら3か月以上更新していませんでいたね、このサイト。失礼失礼。ときどき(いやしばしば)自分のホームページなど見るのも嫌という気分にかられるのです(その反面、とてつもなく愛着を感じるときもあり)。マリード[同和行政オブザーバー]の古くからの読者でしたら、そんなわたしのむら気についてはすでによくご存じのことでしょう。

またポツポツと情報を発信していきたいと思います。といっても最近ろくな材料を持っているわけではありませんが。

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ダマスカス旧市街案内(2)

虹色の翼 ラフィク・シャミのこと
──ダマスカス旧市街案内(2)
(初出「イラクの子どもを救う会ニュース」15号、2008年1月)


ダマスカス旧市街の魅力は、前号で紹介したような建築や景観的なものだけではない。何よりも世界最古のこの都市で、したたかに生きる人びとがいるからこそ、輝きを保ち続けているのだと思う。

そんな旧市街の人びとの心意気、ずるさ、貧しさ、そしてかすかな希望を、魅力いっぱいに描き続けているのが、ラフィク・シャミという作家である。断言はできないが、実はこのシャミこそ、日本で、おそらくとくに10代の子どもたちにもっとも読まれているアラブ人作家なのである。世界的によく知られたアラブの作家といえば、ノーベル賞を受賞したエジプトのナギーブ・マフフーズだろうが、邦訳書点数ではシャミが群を抜いている(原書がドイツ語であることが関係していると思う。それでも単著で8点だけだが)。子どもたちに読まれているというのは、すべて「児童書」の体裁で刊行されているからだ。もちろん、すぐれた児童書がみんなそうであるように、シャミの作品はおとなが読んでも十分引きつけられるものだ。

中でも印象深いのが『片手いっぱいの星』(若林ひとみ訳、岩波書店・1988年刊。原書は1987年刊)である。物語の舞台は1960年代前半の旧市街。あらすじをひと言で言えば、ほとんど毎年のようにクーデターがくり返されるシリアの不安定な社会を生きる、パン屋の少年「ぼく」の成長物語ということになる。この主人公を通して当時の旧市街の様子を知ることができる。

作中語られる旧市街に関するもっとも美しいエピソードは次のようなものだ。

旧市街をいつもさまよって物乞い生活をしているちょっと頭のおかしな男(実は複雑なバックグラウンドを持っていることが物語の後半明かされる)を、ある日「ぼく」が助ける。そのお返しに、男はその場で紙に何かを書きつけ「ぼく」に渡す。そこには見たことにない様々な言語で文章が書かれてあり、誰も読むことができない。まわりのおとなの助けを借り、ここはギリシア語のようだ、ここはスペイン語だ、ヘブライ語だと見当をつけ、旧市街に住むそれぞれの言葉を解する住人を見つけ出し、「ぼく」は少しずつ男が「ぼく」に伝えようとしていたことを知ることになる。それは虹色の翼をもつ小鳥にたくして、異文化が交流し合い支え合う旧市街の魅力を再発見させる寓話だった。

「明日、新しくできた友だちみんなのところをまわって、この話を教えよう。これは、あの変人がぼくにくれた贈り物だと思う。おかげで、多くの民族がここで一緒に暮らしているということが、ぼくにもわかった」

「ぼく」が寓話解読のために探し歩いた旧市街の住人は、ユダヤ人、トルコ人、ギリシャ人、イタリア人、スペイン人、クルド人、アッシリア人だった。

話はそれるが、2001年にわたしがダマスカス旧市街で3か月ほど遊んで暮らしていたとき、どこからともなく黒人(しかもみんなでかい)がぞくぞくとやって来る光景に出くわした。多民族都市といっても旧市街で黒人を見かけるのはそれまでめったになかったので、驚いて彼らのあとをつけていくと、小さなキリスト教会に入っていった。一人を呼び止めて聞いてみると、おれたちはスーダン人だという。毎週というわけではないらしいが、定期的に旧市街の教会に集まり、祈ったり交流したりするのだと言っていた。日本で黒人が住宅街に何十人も突然集まったりしたら、おそらく周囲は奇異な目で彼らを迎えることだろう。ダマスカスでは冷ややかな視線はまったく感じなかった。こんなことが当たり前のように行われているのも多文化都市の証しかな?

ラフィク・シャミは1946年ダマスカス生まれ。キリスト教徒。1960年代、物語の「ぼく」と同様、旧市街で「壁新聞」という手段を使って反体制運動に加わる。政府に追放されたのか組織の内部対立に嫌気がさしたのか、理由ははっきりしないが1971年旧西ドイツに移住している。ドイツではかなり有名らしい。

この本のあとがきで訳者の若林さんは、シャミの日本の読者に向けたこんなあいさつを紹介している。今回のようなスタディツアーを企画しておきながら、こう言うのもいささか気が引けるが、わたしもまったく同感である。

「テレビや新聞がシリアについて伝えることといえば、戦争や石油のことばかりです。私の故国には戦争や石油以外にも語るべきことはあるのです。故国に暮らす人びとのこと、また、私の楽しく、そして悲しかった少年時代のことを世界中の若い人たちに知って欲しいという願いを込め、私はこの本を書きました」

*『片手いっぱいの星』は残念ながら現在絶版。図書館などでぜひ探して読んでみてください。

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ダマスカス旧市街案内(1)

迷宮で出会う愉しみ
──ダマスカス旧市街案内(1)
(初出「イラクの子どもを救う会ニュース」14号、2007年11月)

今度、イラクの子どもを救う会で、イラク人難民の子どもたちと交流するツアーを行うことになった。もちろん、いまの情勢のもとでイラクに日本人が入国するのは危険過ぎるので、実際には、隣国のヨルダンとシリアに逃れてきたイラク人難民との交流がメインとなる。

イラクの現状や難民たちの生活にじかに触れることがツアーの最大の目的だが、それとともに、旅行中ぜひシリア、とくにダマスカスでの観光も愉しんでいただきたいと思っている。人びとの生活に触れ、そこに一人でも知人ができると、その国は急に身近な存在になるものだと思う。

ダマスカス観光といえば、ウマイヤド・モスクとハミーディーエ・スーク(巨大なバザール)が有名だ。たしかに一見の価値はあるが、数年前にダマスカス旧市街に3か月ほど暮らしたわたしの体験から言うと、この旧市街(ユネスコの世界遺産にも登録)の中にはそれ以外にもいろんな魅力が隠されているのだ。

ウマイヤド・モスクの東側(裏側といったほうがわかりやすいか)にはツーリスト向けの喫茶店(マクハ)やみやげ物屋が店をかまえ、客引きも多い。その一帯を抜けてさらに旧市街の奥へと歩いていくと、観光くささが一挙に消え、住民の暮らしが見えてくる。

第一に印象的なのは迷宮状になったまち全体の景観だろう。細い道が複雑に入り組み、すぐに方向感覚が失われ、不意に行き止まりの壁にぶつかったり、いつの間にか他人の敷地内に入っていたりする。これは地中海都市に共通した様式なのだが、初めての人は混乱し不安にかられるかもしれない(わたしも滞在中自分の下宿先に帰るときなんべん迷子になったか)。

だが、心配することはない。人の流れを見ながら適当に歩いていくと大通りやランドマークになるような場所に行くつくはずだ。そのへんでだべっているおじさんやおにいさんに道を聞けば、たいてい親切に迷宮からの脱出方法を教えてくれる(親切すぎて困ってしまうことも多々あり)。

旧市街のあちこちにある小さなマスジド(イスラム教徒の礼拝所)や日用品や焼きたてのパンを売る店、イスラム教徒地区とキリスト教徒地区の比較(ダマスカスは旧市街に限らず宗派や民族によって住み分けられている)など、名所でも何でもないのだが、そこに暮らす人たちとふれあいながらゆっくりと歩くだけでも、十分たのしめる。

昨年(2006年)ひと月ほど滞在したとき、旧市街にあるシナゴーグを見に行ったことがある。一昔前までここにはユダヤ人も大勢住んでいたのだ。結局そのシナゴーグはすでに閉鎖されていたが、当たりの住人に道を聞きながら歩いていくうちに、偶然旧市街の伝統的家屋を利用した現代アートのギャラリーやウードというアラブの弦楽器(西洋のリュートの原型)の工房を見つけた。それらのセンスの良さに「シリアらしくないな」と思ったりしたが、様々な表情をのぞかせるのがこのまちの何よりの魅力だと思う。

非常にありがたいことに、旧市街は安心して歩くことができる。人気のない小径に迷い込んだところで強盗に遭い、身ぐるみはがされるような可能性はきわめて低い(金目のものをこれ見よがしにぶら下げていたり、住民を挑発するような風体をしている場合はべつとして)。真夜中一人で歩いていても危険を感じることはなかった。

第二に、旧市街の魅力はベイト・ディマシュク(「ダマスカスの家」という意味)と呼ばれる伝統的な建築様式だと思う。外を歩いているだけではわかりづらいが、一歩家の中にはいると、劇的な空間が開けている。だいたい中庭を囲んでコの字型の2階建ての住居になっている。真ん中には小さな噴水、周囲には木々が植えてありその緑がとても鮮やかなのだ。シリアはどこでもそうだけど、人びとは平気で道端にごみを捨ててしまうので、そこらじゅうが無惨な状態になっているのだが、意外なことに家の中(私的空間)はみんなとてもきれいにしている。

灰色で狭苦しくごみだらけの外部と、視界が開け色彩的にもカラフルな内部、計算された明と暗のコントラストははじめて訪れる人にとって強烈な印象を残すと思う。

コントラストで言えば、旧市街は昼と夜とでは雰囲気が一変する。昼間のけたたましさは去り、落ち着いた空気が包み込む。薄緑色した街灯がともり、見上げるとひかえめにライトアップされたミナレット(モスクの尖塔)が重々しく見える。ロマンチックでいつか愛する人と歩きたいものですね。

次号では旧市街の持つ魅力をたっぷりと描いた作家ラフィク・シャミ(ドイツ在住亡命シリア人)の世界を紹介したい。

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映画「パラダイス・ナウ」のこと

今回は〈同和〉とは無関係な話題です。

じつはわたしは「イラクの子どもを救う会」という小さなNGOの一員なんです。意外だな、寺園がNGOとは似合わないな、とお思いの方もおられるかもしれませんね。以下の一文は、同会会報に寄稿した感想文です。各地とももうほとんど上映期間は終了しており、そういう意味では役に立たない情報ですが、何かの機会に再上映されないとも限りませんので、そのときはぜごらんになってください。

わたしはアキ・カウリスマキや三木聡も大好きなんですが(それぞれ傾向は全然違うけど)、「パラダイス・ナウ」のいくつものシーンは、これからも折にふれ、思い出され、その意味を何度も考えることになりそうな、わたしにとってそんな価値のある作品だと思います。

ところで、アキ・カウリスマキとサッカー日本代表監督のイビツァ・オシム(木村元彦さんによると「イビチャ」ではなく「イビツァ」がより適切だそうです)って、なんかものすごく似ているような気がするんですがね。顔ではなくキャラが。そう思いませんか。

     ▼

《Review》
映画「パラダイス・ナウ
自爆攻撃に追い込まれる現実と心理を描く
(『イラクの子どもを救う会ニュース』13号、2007年8月刊行)


 Googleのニュースサイトで「自爆テロ」を検索してみた。ヒットした記事は225件。トップに表示された記事は、「自爆テロで15人死亡 アフガン、米警備会社狙う」との見出しだ。(東京新聞=共同=2007年8月18日、16時48分配信)

「自爆テロ」はアフガニスタンの他、イラク、イスラエルだけでなく、アフリカや南アジアでも頻発している。同じ「自爆テロ」(とくにパレスチナの場合「自爆攻撃」と呼ぶべきだろう)といってもその背後にある事情は様々だ。しかし、それがどれだけくり返されてもマスメディアによって報じられるのは、せいぜいその死者数くらいで、事件の背景や犠牲者のことが伝えられることは少ない。これは一貫している(名前すら報じられない記事が大半である)。

まして実行者についてはまったく知ることができない。記事中「タリバン」「アルカイダ」「ハマス」あるいは「シーア派」「スンニ派」といった固有名詞が出てくるだけで、なんとなくわかったような気になってしまい、「やっぱりイスラム教徒がやることはわからないな」と片付けてしまうことが多いのではないか。

映画「パラダイス・ナウ」は、パレスチナの自爆攻撃実行者の2人の青年、サイードとハーレドが、組織から決行の指示を受けてからの48時間を追ったドラマだ。牢獄のような社会、希望のない未来、2人が抱え込むパレスチナ社会、占領下の現実などが、目的地に向かうまでを通して浮き彫りにされる。監督のハニ・アブ・アサドはじめ、俳優もパレスチナ人。

とこう紹介すると、自爆攻撃礼賛で、イスラエル糾弾、パレスチナ側の政治宣伝のような作品かと思われるかもしれないが、そんな臭さはまったく感じさせない。冒頭のシーンからスクリーンいっぱいに閃光が炸裂する幕切れまで、強い緊張とともに作品世界に引きづり込まれてしまった。映像と俳優たちの日常的なしぐさ、表情で、じつに多くのことが語られていく。陳腐な言葉やスローガンで現実を説明するシーンはいっさいない。

たとえば、自爆攻撃決行前夜、サイードが家族(もちろん何も知らされていない)とともにおだやかに、ときにははしゃいで過ごすシーン。そして一転その夜一人考え込むサイードの表情のアップ。全編でもっとも美しいこのシーンを見ると、「自爆テロ」がイカれてしまったムスリムの愚挙でも、実行者自身必ずしもそれで何かが解決すると信じているわけではないことがわかる。彼らはごく普通の青年たちなのだ。

映画を見ている間、サイード、ハーレドとともに希望のない明日を切り開く方法を必死でもがき模索している(気になっている)自分に気付く(映画のパンフレットで語られている監督の話よると、映画を見たイスラエル人もサイードたちに感情移入してしまう観客がめずらしくなかったという)。

また、映画はパレスチナの重要な一面を垣間見せる。サイードたちにとって、パレスチナ問題に関して国連をはじめ国際社会がいかに無力でありつづけているかということだ。彼らに存在するのは、「占領者」と「われわれ」だけであり、国際社会に何も期待をかけていない。パンフレットに収録されている全字幕を読み返してみたが、登場人物は作品中一度も「アメリカ」という単語すら発していなかった。同時に、NGOなどパレスチナに対する支援組織さえも彼らにとっては大きな意味のある寄る辺になりえていない現実も提示されている。深い孤独と絶望が痛感させられた。

なお、アメリカの独立系調査機関ピュー・リサーチ・センターが行った最近の調査によると、パレスチナ自治区では70%の住民が「自爆テロやその他の暴力行為」を正当化しているそうだ。レバノン34%(2005年の前回調査時74%)、ヨルダン23%(同43%)、パキスタン9%(同33%)と比べても、その高さは際立っている(東京新聞2007年7月25日付夕刊参照)。

追記 映画はナブルスで撮影された。ハニ・アブ・アサド監督によると、あまりにも危険を伴う撮影だったため、途中でドイツ人スタッフ6人が辞めた。代わりに5人のドイツ人が加わったが、彼らは受刑者だった。これはドイツ政府の職業訓練プログラムで、パレスチナでのこの仕事を終えると釈放されることになっていたそうだ。ドイツってすごいことをやるものだ。

パラダイス・ナウ」 2005年、フランス・ドイツ・オランダ・パレスチナ共同製作。日本公開は2007年。ゴールデン・グローブ賞受賞、第78回アカデミー賞外国語映画部門ノミネート。

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