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桝本市政12年─同和行政の無惨な後遺症 〈同和〉という病い(6)


【マリード158号 2008年8月1日配信 初出:『ねっとわーく京都』2008年1月号】

市長の泣き言にだまされるな

2007年10月16日、桝本頼兼京都市長の「不出馬表明会見」が市役所内で開かれた。

市長は1996年の初当選以降を振り返り、「政策についてはほぼ100%近く達成できた」と誇る一方、話題が京都市職員の犯罪・不祥事問題に移ると、「うみを出し切りたいと対応してきた。市民のみなさんに心から申し訳なく思う。非常に寂しい、情けない思いをしている」と顔をこわばらせて語ったという(読売新聞2007年10月17日付)。

市長がいくら号令をかけてもおさまる気配のない職員による犯罪と不祥事。「非常に寂しい、情けない思いをしている」という言葉を聞かされると同情したくもなるが、ここは事実を直視しなければならない。

この12年間、桝本市長が犯罪・不祥事問題に何らかの対処をしたといえるのは最後の1年あまりでしかない。それもきわめて不十分なものでしかない。

1973年度の同和選考採用制度スタート以来、市教委職員としてこれにかかわり、そこでどのような事態が進行していたのか、桝本市自身いちばん熟知していたはずである。また自身が初当選した九六年の市長選挙時、すでに同和選考採用制度は重大争点となっていた。

だがそれから10年以上にわたって日々悪化する事態を放置し、最後(地対財特法が失効し国の特別行政が終結する2002年3月末)まで運動団体に採用権を丸投げするという異常な制度を廃止せず、傷口を広げてきたのは桝本氏に他ならない。

市長はじめ市幹部たちは「ウミを出し尽くせ」とこの1年あまりことあるごとに叫んでいるが、もっとも体内のウミを隠し続けているのが、同和選考採用制度をはじめデタラメな同和行政に深くかかわり、今日のポストに就いている彼ら自身であることを忘れてはならない。「さびしい、情けない」と思い続けてきたものがいるとすれば、それは市長あなたではなく、まともな職場にしようとしたものの市上層部からは何の支援も得られず、孤立し、最後にはつぶされていった現場の管理職や職員ではないのか。

情報統制、説明放棄、虚言

桝本市長が事態悪化をほったらかしにしたのは同和選考採用制度にかかわることだけではない。任期切れ目前の今、この12年間、わたし自身が目の当たりにした市長の「おもな実績」を振り返っておきたい。

社会のすう勢や市民や議会の声の結果、現在の京都市は同和行政にかかわることでも基本的には行政の持つ情報は公開するようになっている。地対財特法失効前までの対応はひどいものだった。

1997年、13億円あまりかけて建設が進む改進地区(伏見区)の隣保館と福祉センターについて取材したことがある。とりあえず、どのような趣旨でどんな機能を持つ施設ができる予定なのか当時の同和対策室に問い合わせたのだが、いっさいの取材を拒否された。室長の指示だった。建設に関する公文書公開請求をしても、担当課は文書の特定を1か月近くサボり、やっとのことで開示された公文書もこちらの趣旨と違うトンチンカンなものを(おそらく意図的に)出す始末だった。

当時、どのような同和対策事業を行っているか知ろうとすること自体、困難なことだった。担当課では答えてもらえず、「教えて欲しければ情報公開請求でもしたらどうですか」と門前払いをくらうことが多かった。市の同和行政の基本的な文書、たとえば「同和問題の解決をめざす京都市総合計画(案)」や同和問題懇談会の「意見具申」すらも閲覧を拒否された。そんな環境下でよく取材を続けてこれたものだと我ながら感心してしまう。

なかでももっとも京都市の「悪意」を痛感させられたのは、本誌(『ねっとわーく京都』)ではくり返し論じてきた同和補助金不正交付の実態を組織ぐるみで隠蔽しようとしたことだ。

同和補助金(制度は2001年度末で廃止)を使って解放同盟などが、全国各地の高級温泉旅館で宴会三昧に興じ、また、架空の学習事業をでっち上げるなどして公金を詐取してきた事実はよく知られている。だが京都市は2000年10月にわたしと市民ウォッチャーが起こした情報公開訴訟での敗訴が確定するまで、同和補助金に関する情報を明らかにしなかった。

その一方、裁判所や情報公開審査会、あるいは監査請求の場では、情報は公開できないが、補助金は同和問題の解決のために有意義に使われている、適正に支出されていると主張し続けていたのだ。京都市は、解放同盟などに交付した補助金の使途の実態を知らなかったわけではない。不正であることを事前に把握していただけでなく、担当部署(同和対策課や市教委)が組織を上げて加担していたのが真相だった。

同和選考採用制度同様、補助金制度についても桝本市長は市教委幹部時代から自ら不正支出の決裁をしてきており、補助金が事実上の「裏金」であることは知っていはずである。だが、情報公開請求されて以降桝本氏がとった行動は、不正の是正ではなく、隠蔽だった。

不正発覚後の対応も職員の犯罪・不祥事問題のときと同じである。自らの具体的な関与についてはいっさい口を閉ざし、もっぱら解放同盟に責任をなすりつけ、担当職員のふがいなさを嘆いただけだった。

「よくやった」村井議長からの賛辞

桝本市長の同和行政に関する「実績」でもう一つ特筆すべきことといえば、同和奨学金制度をめぐる対応であろう。

地対財特法失効を5か月後にひかえた2001年10月末、京都市は同和奨学金制度を、法律がなくなっても市単独で2002年度から5年間延長すると発表した(2001年度までは国庫補助が3分の2ついていた)。「教育の分野だけはまだ課題が残っている」というのが理由だ。

桝本市長はそれまで、いっさいの同和対策事業を2002年3月で終結するとくり返し市会と市民に向けて明言していた。また、市会も同和行政を完全にやめるよう全会一致で決議した直後の発表であったこともあり、同年11月に開催された市会では、共産党からはもちろん自民党からも市長の豹変ぶりに激怒する声が噴出した。最大与党の議員団長からも撤回を強く迫られたが、市長は一歩も引かず奨学金制度継続方針を押し通した。

自らの公約や市会決議を反古にしても市長に継続を決断させた要因は何だったのか。その後入手できた京都市と部落解放同盟との企画推進委員会の記録をみると、まさにその委員会の場で市の方針が転換していた。企画推進委員会とは、市と同盟との協議の場ということになっているが、実際は交渉の場である。

公開された議事録(摘録)によると、2001年1月30日、解放センターで企画推進委員会「教育部会」が開催されている。その場で同盟側から「奨学金がなくなれば、困る子が多いと校長から聞いている。何か手立てを考えてほしい」といった要求が出されていることがわかる。

その後この問題がどのように論議されたのか、議事録からは確認できない。だが、制度の五年間延長が発表された直後の2001年11月7日にもたれた企画推進委員会「教育部会」の議事録には解放同盟側のこんな発言が書き留められている。

「(奨学金制度継続の発表について)村井議長(解放同盟京都市協議会議長)からも、部会でよくやってくれた、市長、市を信頼してよかった、といってもらっている」

企画推進委員会(解放同盟との事実上の交渉)「教育部会」のなかで京都市の方針転換がなされていたのだった。そしてこの日の部会では、解放同盟からうながされて市側の出席者は、継続の方針の貫徹を市会でどれだけ反対されてもやり抜きますと、くり返し決意表明させられている。

京都市の同和行政の方針が決められるのは、市長の意思や担当部署や市会での論議でもなく、解放同盟との交渉の場であったのだ。

公共施設の占有者

長年にわたって続いた不正常な同和行政の結果生じた弊害=後遺症は、表向きの同和事業が終結したからといって、自然に解消することはない。

2007年10月、村山祥栄市議(無所属)が「同和事業完全終結に向けた要望書」を市長に提出した。同和地区施設の運営の実態、問題点などを詳細な現地調査により得たデータをもとに指摘、コミュニティセンターの廃止など、いろんな形で残存する特別行政の終結を求めている。

村山議員の調査内容は多岐にわたり、現状を知る上で貴重な情報を提供してくれる。ここでは「後遺症」の事例として、ひそかに設置されていたボクシングリングについて紹介しておきたい。

同和地区内には多種多様な公共施設がつくられているが、ボクシングリングまであることは、わたしも村山議員の「要望書」を読むまで知らなかった。そのリングは三条コミュニティセンター2階のサークルルームにある。ロープ、柱がしっかり固定されスパーリングができるような立派なものだ。天井からはサンドバッグがつるされ、各種トレーニングマシーンなども完備、ヘッドギア、グローブ、シューズなどが保管できる棚などもある。

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利用団体により無許可で設置されたボクシングリング

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ヘッドギアやシューズの整理棚も常置

ボクシングリングまで同和事業で用意しなければならないのか大いに疑問だが、より問題なのはコミセン内にこの施設があることはいっさい広報されていないことだ。コミュニティセンター職員の説明によると、週2、3回、地元の異種格闘技系の空手サークルが使用するのみだという。つまり特定団体専用のリングとして供されているわけだ。

職員の説明を聞いて驚かされたのは、リングがつくられたのは5年ほど前で、空手サークルが勝手に施設の形状を変えてしまったということだ。リングなど設置のために室内を改造する際、定められた手続きをすることなかった。

今後はボクシングができる施設があることを宣伝していきたいとコミセンでは言っているが、このような施設が民間サークルによって勝手につくられ、そのサークルによって独占使用されている現状について、だれも疑問を抱かなかったこと自体、重視する必要があろう。

ボクシングリング見学の帰り、三条地区でもう一つ、目を疑うような光景に出くわした。住宅内の駐車場にモーターボートが駐められているのである。車以外のものを駐めることはもちろん認められていない。ボートが置かれているのはかなり以前かららしく、わたしがびっくりしてコミセンに引き返してそのことを告げても、職員は平然と応対するばかりだ。

艇庫と化した駐車場
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1週間後現地を確認したが、ボートは堂々と置かれたままだった。コミセンも住宅室住まいまちづくり課も何らかの対処をするそぶりさえ見せなかった。

これだけ市民の同和行政に対する批判が高まっても、現場には大して影響していないということだ。

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