Home > メルマガバックナンバー | 同和選考採用/職員不祥事 > 奪われた人事権と売買された採用枠(下) 〈同和〉という病い(4)

奪われた人事権と売買された採用枠(下) 〈同和〉という病い(4)

【マリード156号 2008年7月18日配信 初出:『ねっとわーく京都』2006年12月号】

「こんなやつを公務員にするのか」

京都市が運動団体に人事権を委譲したことによって、どんな状況が生まれてしまったか、二、三事例を紹介しておきたい。

人事権を掌握した運動側は、いったいどのような人物を市職員として送り込んできたのか。労働意欲や公務員としての適性などが重視されていたわけではなかった。今日同様、同和選考採用者の不祥事──婦女暴行、覚せい剤所持、恐喝、詐欺、発砲事件などが続発していた1996年当時、部落解放同盟京都市協議会事務局長は、わたしの取材にこう答えている。

「この間の不祥事は推薦の基準にズレがあったことは認める。選考採用は地区住民の生活安定と就業の促進の一環としてやってきた。しかし現実には組織拡大に使ってきたことは事実だ。公務員としてふさわしいかどうかという論議よりも、運動にどれだけ参加してきたかということを基準にしてきた」(拙著『だれも書かなかった「部落」』かもがわ出版)

こんな基準で推薦者が決められ、京都市はそれを例外なく採用していけば、公務員として到底ふさわしくない何人もの人物が職場にもぐり込んでくるのは、当然の帰結だろう。

だが、この程度におさまっているのならまだよい。同和選考採用制度が腐敗の度を深めていくのは、運動団体が人事権を握ったことにともない、推薦を得るために団体幹部に金品が渡される事態が生まれたことによってだ。このことについては、本誌(『ねっとわーく京都』)2006年10月号の「緊急大型座談会」で「私は某地区で市の現業職に就いた人が運動団体に150万円積んだ領収書を手にしている」とリアルに証言しているし、わたし自身これまで何度も指摘してきた。

最近取材した運動団体関係者も次のように断言する。

「幹部の身内は別としてそれ以外の人が推薦される場合、金を積まんといかん場合が多かった。選考採用末期の相場は100〜300万といったところだったか。そんななかにはこんなやつを公務員にしてほんまに大丈夫なんかと、こちらが頭を抱えてしまいたくなるような人物もおった。金払って就職したのに何で真面目に働かんとあかんのやと言わんばかりのやつもいたな」

また、こんな事実も指摘する。

「金を積むのは採用のときだけではなかったね。特別指定職試験(現業職員が行政職に転任するための試験。現在は廃止)のときも、幹部に金品を渡すことがめずらしくなかった」


当初より売買されていた「採用枠」

採用をめぐる金品の授受はいつ頃からはじまったのか。同和選考採用自体、すでに1960年代には地区住民の雇用対策として行われていたが、京都市の説明によると、公式な制度として実施しはじめたのは1973年からだという。しかし制度化された当初より、金品の授受は常態化していたようである。このことは解放同盟の内部文書に明確に記されている。

1965年、部落解放同盟京都府連は、朝田善之助委員長のグループ(朝田府連)と、朝田氏の路線を部落排外主義だと批判する三木一平氏らを中心とするグループ(三木府連。後に全解連を結成)とに分裂するが、解放同盟京都府連(朝田府連)は1970年代にも再分裂している。

72年から74年にかけて、長く府連トップに君臨する朝田氏の路線を「右翼融和主義」「運動の私物化」などと批判するグループ(中心は駒井昭雄氏)が反旗を翻した。最終的には同盟中央本部の意向を受け、駒井氏らの反朝田グループが府連の実権を奪取することになるのだが、分裂の主要な原因の一つが、京都市の同和選考採用の推薦枠をめぐる対立だった。

駒井派は、朝田氏が「自分の一存で気に入ったものだけを市当局に推薦」「反対に、気に入らないものははじめから朝田氏の判断で採用しないよう行政に働きかけ」ている実態を批判(『解放新聞京都版』1978年9月15日)、これに対し朝田氏は、「(駒井派の動きは)自分たちが自分たちのしんせき・縁者らを中心にあつめた履歴書にもとづく、採用を実現するため、ドウカツとヤユをもっておこなっている行動」に過ぎないなどと反論した(『解放新聞京都版』(朝田派)1973年8月6日)。

駒井派は1972年8月「雇用促進委員会」なる組織を結成、朝田派との全面対決に突入するが、この委員会が作成した「雇用促進要求闘争要綱」には、当時の選考採用の実態があけすけに語られている。

「議員、部落ボスの間で、雇用人員の割り当ての奪い合いがおこなわれたり、さらには、職員の昇格までも、行政と議員、部落ボスの政治的取引によっておこなわれている。/その結果、部落大衆は、議員、部落ボスに金銭、物品を贈って、就職、身分の昇格を頼むという、まったく不正常な競争が生まれている」

またこんな驚くべき実態も記されている。

「(選考採用は)部落民としての自覚を高める行政効果とは逆に、ダミンをつくり、ヒロポン中毒、アルコール中毒者等がチェックできなかったり、雇用後の適正なる生活指導ができていないため、職場において、種々の問題をかもしだしている。このことが、差別を拡大、助長、再生産しているのである」

まん延していたのは金品の授受だけでなく、なんと、採用された職員の不祥事もすでにこの時期、表面化していたのである。


同和選考採用とは何だったのか

同和選考採用への弊害を指摘する声がある一方、地区住民の生活安定に果たしたこの制度の意義を強調する声は、今もよく耳にする。わたしも同和選考採用を全否定するものではないが、期待された効果があったのは、制度開始時期のごくごく限定されたケースに過ぎなかったのではないか。

1973年から2001年度まで同和選考採用で採用された職員は約6000人を超える。全員が公務員の「身分」を金で手に入れたわけではなかろうが、たとえばその半分の3000人が一人100万円を積んだと仮定しても、採用をめぐって30億円もの金が飛びかった計算になる。これだけの金が動けば、行政機構や制度だけでなく、採用枠拡大を要求する運動自体が、大きく歪んでしまったのもまた必然と言える。

前出の運動団体関係者はこう指摘するが、まったく同感だ。

「選考採用は部落問題の解決という点でも弊害が多かった。地区有業者の30〜40%が市職員という現実をうんだが、その過程で一部の子どもや若い人の意欲を奪ったと言える。本来なら高校や大学を卒業していろんな進路の選択が可能だった人も少なくなかったと思うが、それが選考採用によって勉強しなくても、努力しなくても公務員になれるという状況を前に、生きる意欲を削いでしまった。このことは行政も運動団体も重く受け止める必要がある」(この項終わり)

>>「〈同和〉という病い」全体の構成

Home > メルマガバックナンバー | 同和選考採用/職員不祥事 > 奪われた人事権と売買された採用枠(下) 〈同和〉という病い(4)

Search
Feeds
カウンターランド

Return to page top