京都新聞が2008年7月13日付けで、京都市自立促進援助金について詳しい記事を載せています。制度の内容と現在どんな矛盾に直面しているのかが、よくわかる記事だと思います。
一方記事中、気になる点、頭に来る点があるので、簡単に記録しておきます。
1点目。自立促進援助金制度は、国の同和奨学金が給付制から貸与制に変わることになった1983年に創設されました。同援助金でもって「返済が困難と認められる」借り受け者の返済を、市が全額肩代わりすることをうたった制度です。
記事ではこの制度についてこう書いています。これは「返済を求めない約束で始まった制度」であると。
運用実態はそれに間違いはないのですが、制度の説明としては基本的な点で、認識に大きな間違いがあります。自立促進援助金は制度上はあくまでも「返済が困難と認められる」対象者にたいして適用されるものであり、要綱あるいは他の関連する規則や条例のどこにも、「返済を求めない約束で始まった制度」などという規定はないのです。
つまり、同和奨学金は将来返還する義務があることを前提とした制度であり、自立促進援助金もその前提を踏まえた制度なんですね。ところが京都市は、これら法的な規定を自ら無視して、借り受け者全員をなんの審査をすることもなく「返済が困難と認められる」と決めつけ、一方借り受け者に対しては「返済しなくていい奨学金だ」という虚偽の説明をし続けてきたわけです。本来の制度の趣旨、規定から逸脱した運用を続けてきたこの点が、今大きな問題となっているわけです。
そしてこれは重要なことですが、同和奨学金が貸与制に切り替わることになったとき、当初京都市は国の方針に従い貸与制で押し通そうとしていました。ところが、その後解放同盟の猛烈な攻撃に見舞われ、貸与制の方針を断念し、上記のような「自立促進援助金」なるものを生み出したわけです。
2点目。記事では各関係団体、関係者のコメントが紹介されています。これがひどい。以下引用。
見直しについて、運動団体の部落解放同盟京都市協議会は「返還請求の通知書送付などが、新たな差別を誘発する恐れもある」とし、制度を廃止した上で援助金受給者の返済免除を求める。京都地域人権運動連合会も「受給者に責任はない」と個人返済でなく市が責任を取るべきとの立場だ。一方、自由同和会京都府本部は、原則として、能力がある人は返済する方向を探るべきとしている。(略)市幹部は「今さら返せとは言いづらい。裁判で負ける恐れもある。人権問題に広がればどう責任を取るのか」と不安を口にする。
うんざりさせられますね。とくに解放同盟は「新たな差別を誘発する恐れもある」といつもながらの粗雑な論を展開しています(行政側も同じことを言っている)。
日本全国大半の自治体においては、毎年同和奨学金借り受け者に請求書を送っているはずです。なんで京都市だけ請求書を送ったら「新たな差別」だの「人権問題」だのが誘発され、広がってしまうと考えるのか。
いやそんなこと以前に、そもそも同和奨学金を貸し付ける際、京都市は地区外に引っ越した元住民の所在地を探し出して、「あなたのお子さんは部落民なので、奨学金を受ける資格があります」と家庭訪問したり、一方的に文書を送りつけてきたではないか。また、毎月々の奨学金貸与のとき、数年前までは各地区の隣保館(現コミュニティセンター)に金を受け取りに来させていたではないか。取りに来ない生徒・学生には隣保館職員が電話や手紙で取りに来るよう催促してきたはずだ。
金を貸すときはこのようなことをしておいて、なぜ返すときにだけ、「新たな差別」「人権問題」の発生を気に病むのかさっぱりわからない。
「差別事件が起こったらどう責任を取るのか!」というのは、今も行政を萎縮させる有効なフレーズなのかもしれません。「差別」をネタに自分たちの不利な事態に陥ることを回避しようとしているように、わたしには思えます。
要するに、解放同盟も、それに人権連も、今日の惨状を招いた自分たちの責任について何も認識していないとしか思えません。自立促進援助金創設の経過を考えると、とてもこんなお気楽なコメントが許される立場ではないと思うのですが、全部京都市のせいのようなことを言っている。京都市が今これだけ困っているのだから、自分もその罪の何分の一かでもかぶろうというそぶりくらい見せてもいいはずだと思うんですがね。いやはや人の世とは冷たいものです。
その点、唯一自由同和会だけ、いいこと言っているではありませんか。この方向でがんがん京都市を追及してもらいたいものです。
- Newer: 奪われた人事権と売買された採用枠(下) 〈同和〉という病い(4)
- Older: 行政救済が帰着点か


